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歴史コピペ【日米編】 ブログトップ

【コピペ】対日戦証言集 [歴史コピペ【日米編】]

ウイリアム・パーソンズ大佐 原爆投下後の記者のインタービューに答えて、
「(原爆で)ジャップがひどい目に遭うことについて、特別な感情はなかった」

アメリカ雑誌タイム(太平洋戦争当時の記事)
「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、
人間であることを示すような点はどこにもない」

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【コピペ】チャールズ・リンドバーグの戦時日記 [歴史コピペ【日米編】]

チャールズリンドバーグの戦時日記

「日本兵の死体に金歯があると、靴で踏み付けたり、棒でつついてその歯を取り出し
て集めて、小さい袋にため込んでいる兵士が何人もいる。砲弾で出来た穴の中に
日本兵の死体を投げ込む。その上をゴミ捨て場にする例もある。死体処理はブル
ドーザーでなされ、墓標がたてられることは、けっしてない」

「ちょうどそのころ、日本軍は泰緬鉄道の捕虜犠牲者のために、四メートルの大理石
の慰霊碑を立てていたことを考え合わせてみよ」

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【コピペ】アメリカでの日系移民排斥の歴史 [歴史コピペ【日米編】]

1906年 サンフランシスコ市教育委員会、日本人、朝鮮人学童の隔離教育を決定
1907年 サンフランシスコで反日暴動
1908年 日米紳士条約(日本が移民を自粛する代わりに排日的移民法を作らない事を
           米国が約束)
1913年カリフォルニア州で排日土地法が成立(移民の日本人に土地所有を禁じた)
1920年カ州排日土地法、改悪(移民後の生まれた子はアメリカ国籍を持つがその子供にも
              土地所有を禁じた)
1922年アメリカ最高裁「黄色人種(ほぼ日本人を狙い打ちしているのだが)は、
           帰化不能外国人であり、帰化権はない」と判決
     この判決では驚く事にすでに帰化した日本人の権利まで剥奪出来るとした。
     この結果第一次大戦で米兵として参戦した日本人移民まで帰化権が剥奪された。
1924年「絶対的排日移民法」成立←全米で日本人移民の排斥をする結果に 
1942年3月2日 日本人の血が8分の1以上入っている人々に対して、太平洋沿岸各州の西半分とアリゾナ州の南から退去命令
http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/9066.html
☆参考図書

日米危機の起源と排日移民法

日米危機の起源と排日移民法

  • 作者: 三輪 公忠, 長谷川 雄一, 児玉 正昭, 原口 邦紘, 土田 元子, トーマス バークマン
  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 単行本


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【コピペ】日本における空襲による死者数上位七都市と米軍人の大都市爆撃に関する公言 [歴史コピペ【日米編】]

太平洋戦争がよく分かる本』P176 PHP文庫、太平洋戦争研究会
日本における空襲による死者数上位七都市
●広島市 約14万人(原爆による。1945年末までの死亡者数)
東京都区部 約10万人
●長崎市 約7万人(原爆による。1945年末までの死亡者数)
●大阪市 約1万人
名古屋市 約7800人
●神戸市 約6200人
横浜市約4600人

☆参考図書

太平洋戦争がよくわかる本―20ポイントで理解する

太平洋戦争がよくわかる本―20ポイントで理解する

◆大都市爆撃に関する公言
「手加減することはない。戦争とはもとより破壊的で、非人道的かつ無慈悲なものなんだ」
―――ヘンリー・H・アーノルド大将 (米国陸軍航空隊司令官、ドレスデン大空襲の報告書の余白にて)

「よくやった。今度の任務は貴下の部下たちが何事に対しても勇気をもってやったことを示している」
―――ヘンリー・H・アーノルド大将 (東京大空襲成功の報告に対し送ったルメイ宛の電報、1945年1月17日フロリダの空軍病院にて)

「私は、日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の家屋は、 すべてこれ軍需工場だった。スズキ家がボルトを作れば、隣のコンドウ家はナットを作り、向かいの タナカ家はワッシャを作るといったぐあいに。

・・・東京や名古屋の木と紙で出来た家屋の一軒一軒が すべて我々を攻撃する武器の製造工場になっていたのだ。これをやっつけてなにが悪いことがあろう。 日本では、女も、子供までが軍需産業に携わっていたことは以上のとおりだが、残虐さは戦争そのものに 帰せられるべきである」

「君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まされたとしよう。そんなときはきっと、 何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中を火に包まれた子供の 泣き叫ぶことを思い浮かべるに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたいなら、
 そんなものは忘れることだ」
―――カーチス・E・ルメイ少将
(第21爆撃集団司令官、日本本土の都市空襲に参加する爆撃機搭乗員への発言)

「次の戦争での空からの攻撃は、日本を襲った大地震(関東大震災)の災害よりも
 すさまじいものになるでしょう」
「攻撃は敵の領土中枢部の都市、工場、武器製造地帯、水道、ガス、電気関連施設に向けられます」
―――ウィリアム“ビリー”・ミッチェム
(米国陸軍航空隊の父、1925年11月のラジオ放送にて)

「いかなる都市でも大航空部隊の空襲にあえば、大損害をこうむるのはまぬがれ得ないが、 とくに日本の都市や産業中心地の多数が空襲をこうむりやすいのは事実である。 日本人の住宅は一般にマッチ箱に等しいから、一度爆撃を受けたが最後、たちまち焦土と 化してしまうだろう」
「ここに日本を屈伏させる最適の戦法がある」
―――スターリング少将(ニューヨーク海軍工廠責任者)


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